大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和43年(ネ)986号 判決 1973年11月30日

控訴人・付帯被控訴人(原告)

山内兼三郎

ほか一名

被控訴人・付帯控訴人(被告)

三日月堂製パン株式会社

主文

一  付帯控訴に基づき、原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。

控訴人らの請求をいずれも棄却する。

二  控訴人らの本件控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は第一・二審を通じ、付帯控訴についてのみ生じた分は被控訴人の、その余は控訴人らの各負担とする。

事実

控訴人ら訴訟代理人は、「原判決を次のとおり変更する。被控訴人は控訴人らに対し、各金五一四万二九八一円およびこれに対する昭和四二年九月二一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、付帯控訴につき控訴棄却の判決を求めた。

被控訴人訴訟代理人は、「本件控訴を棄却する。訴訟費用は第一・二審とも控訴人らの負担とする。」との判決を求め、付帯控訴として、「原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。控訴人らの請求を棄却する。付帯控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠の提出・採用・認否は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同じであるから、これを引用する。

(控訴人らの主張)

一  本件事故と璞三の死亡との間には、次に述べるとおり、医学的見地からして因果関係の存在を認めうるものである。

1  本件においては、脳における浮腫が璞三の死亡と相当深い関係にあることは明らかである。そして、璞三は事故までは健康で数年来来病気もしていないし他に何らかの内臓疾患をわずらつたこともないから、他の臓器の変化で浮腫を発生することは考えられない。したがつて、右浮腫の原因は本件事故にあると考えるのが相当である。

すなわち、事故前に何らかの疾病のあつたことが立証されない場合は、本件事故による外傷から浮腫を生じこれを原因として死亡したものと判定せざるを得ないのである。

2  本件事故において、璞三は停車中時速四〇ないし五〇キロメートルの速度で追突されたのであるから、相当強烈な外力作用を加えられたことになる。このような場合には、頭部において瞬間的に過度に伸展・屈曲する運動が起こり、そのため中心性頸髄損傷を生じ、受傷後長短の無症状期を経過して四肢麻痺が起こり、呼吸障害を起こして死亡することがある。特に上部頸髄からその上方の脳幹部はきわめて狭い小さな部分であるが、生命維持に直接必要な呼吸、循環、体調、意識等の中枢のあるところで、単に針で突いたぐらいの些細な障害によつても容易に死に至るのである。すなわち、この部分の障害によつて呼吸麻痺(呼吸困難、呼吸停止、肺水腫による肺炎)、心臓麻痺、高熱(ときに四二度、四三度などの過高熱)、意識障害、けいれん発作等が起こり、これらはどれ一つをとつても死に密接なものばかりである。この部分における脳浮腫、頸髄浮腫(出血や挫創なし)だけで死の十分な条件となるのである。しかして、中枢神経系の障害による死の特徴としては、まず呼吸麻痺が起こり(息が止まる。)、しばらく心臓機能が維持されている(脈は打つている。)が、呼吸機能が回複しなければ結局は死ぬという経過が定型的で、これを脳死と呼んでいる。

本件についてこれをみるに、璞三は九月二一日受傷以来直接生命に危険の及びような症状がなく、たんたんとした経過でよくなつていたものが、突如一〇月七日呼吸困難となり高熱を発し、その後昏睡状態、けいれん発作、呼吸停止等の症状を起こし、同月一三日には死亡したものである。このように呼吸障害が先行し、意識障害、けいれん発作、高熱を発するという経過は典型的な脳死に属する。その原因としては頸髄上部、脳幹部の障害以外には考えられないのである。

3  停車中に追突により強い外力が加えられた場合には、さらに次のような身体的変化を生ずる。

まず化学的変化として、脳実質の液化現象が起こり、これがある程度以上になると、脳実質と血管系との物質転換が起こり、諸物質が容易に脳実質的に到達することになり、その結果浮腫を生ずるのである。

次に生物学的変化のその一として、神経細胞の機能低下を来たし、これが回復しない場合には死の転帰となる。その二として、血管系において血流障害が起こり、酸素の供給不足という事態になり、血管中の液体成分が血管外に浸出し、水分、血漿、血球成分までが漏出し、脳容積の増大、脳浮腫の発生をもたらす。さらにまた、脳細胞自身の内部の水分、電解質(イオン)の増加も加わつて脳膨化に役立ち、ひいては神経細胞の機能障害を招来させ、ついには脳萎縮(脳細胞の死)に導びくのである。

さらに、追突の結果頭蓋内出血を生ずることもありうる。

本件の場合は、水腫のほか充血がひどく、小さな出血もあつたのである。医師の証言においても、造影剤を受けつけないほど脳圧が高く、非常に重篤な状態であつた旨あるいは一六〇〇グラムで水腫は相当強かつた旨述べられているのである。これらの症状については、追突という強力な外力によつて生じた右のような化学的および生物学的変化以外にはいかなる原因も考えられないのである。

4  次に、同一の速度、同一の外力作用による追突でも、受傷者の体位、身体構造上の個人差、年齢、防御反応の有無(睡眠中か否か)、合併症等により、むち打ち外傷による障害に軽重の差が生ずるのは当然である。頸部にひねりが加わつた場合、骨格が脆弱で特に頸椎に弱点がある場合、あるいは高齢者等の場合では重症になりやすく、治療も長期化し後遺症に移行しやすい。さらにまた、頭部、頸頭が全く打撃を受けず前後運動だけによつて生じたむち打ち外傷と、これに頭部外傷が加わつた場合とを比較すると、後者の場合の方が右の各因子が加わりやすいことにより損傷が重くなるのである。

本件の場合、追突した自動車が時速約四〇キロメートル程度の速度を有していたこと、および璞三が頭部外傷を受けていたことからすると、当然にひねりが加わつていたことは確実で、本人の体格がのつぽでやせていたことからしても、本件追突事故による傷害は決して軽微なものではなかつたとするべきである。

5  自動車の追突による頸部外傷の場合に、受傷直後にはほとんど障害を起こさないが晩発性の障害により死に至り、あるいは永久的な麻痺を残す晩発性の脊髄浮腫または脊髄出血という型があることについては、多くの事例が報告されており、近来諸家によつて警告されているところである。このように遅発した障害はほとんど軽快する傾向がなく、脳および頸髄の麻痺(そのあらわれが突然の昏睡状態、呼吸麻痺、過高熱など)をひき起こし、しばしば死に至るものである。したがつて、外力作用がかなり強力であつても被害者の受傷した頸の症状が軽いことはあるが、この場合一概に安心することはできず、将来何らかのきつかけで急に重い障害が起こつてくるかもしれないことを警戒すべきなのである。

本件において、璞三が外傷を受けた時の状況に比較して障害がきわめて軽度であつたことは確かである。しかしながら、外傷直後しばらくは頸髄の浮腫、組織破壊が不完全だつたために、外には重大な障害が出て来なかつたにすぎないのであつて、一〇月九日以降はその平衡が破られて突然頸髄の浮腫あるいはわずかな組織崩壊等がひき起こされ、その部位にある呼吸中枢の麻痺が起こつたのである。右のように、璞三の死亡が晩発性の脊髄障害によるものであることは明らかである。

6  当審鑑定人伊藤博治の鑑定結果においては、「全く誘因不明の」「外傷に無関係の」「感染性」疾患(特に呼吸器系統)が相符合して起こり、これが一次的、主役的な役割を果たして死亡させたものであるかのごとき推認を行なつている。しかしながら、重大な直接の誘因もなく、しかし入院中に、急激に死に至るような疾患に感染するという確率はきわめて少ないのが常識である。治療医学の進歩している現在、単純な感染性の肺炎が起こつたとしても、それによつてなす術なく急速に死に至るということは稀有なことに属する(極端に抵抗力の低下している高齢者、病弱者、乳幼児を除けば、感染性の肺炎で死ぬ人はむしろ例外である。璞三は二八歳のきわめて健康な成年男子、しかも入院期間は厳寒の時季ではなく九月から一〇月にかけて最も気候のよい季節であつて、肺炎にかかる確率の最も低い条件下にあつたものである。右鑑定が最終的に主張する「ある別の臓器の感染性疾患による死亡」というのは、客観性が全くないばかりか生前これを確認する検査もなされておらず、直接治療も行なわれていないこと等からみて、呼吸麻痺による肺水腫を故意に「感染性の肺炎」と擬したにすぎず、頸髄障害という原因からひき起こされた結果としての肺炎を、第一義的な原因が肺炎であつて脳頸髄の浮腫をその結果であると曲げたものであつて、全面的に承服できない。当審鑑定人森和夫の鑑定結果も感染性疾患による死亡という結論は否定しているのである。

二  本件事故と璞三の死亡との間には、次に述べるとおり法律上の因果関係も認められるのである。

1  甲が死亡した場合に、(1)甲がどうして死んだかが問われる場合と、(2)甲がどうして死んだかはわかつているが第三者たる乙の行為につき甲の死の法律上の原因として法的責任を問うことができるか否かが問題となる場合とでは、等しく因果関係の問題といつても全く性質が異なるのである。(1)のような問題を「説明的問題」、(2)のような問題を「帰責的問題」と呼ぶ。前者は、証拠により解くべき事実認定の問題であるが、後者は、事実(当該行為から当該結果に至る過程)が認定された後に当該行為を行なつた者に結果に対する責任を負わせることが法律の規定に照らし妥当であるか否かが問われる場合であるから、法律問題である。

わが国では、刑事法上の因果関係の問題は条件説により解き、民事法上の因果関係の問題は相当因果関係説により解くべしというのが判例・通説である。しかし、法律上の因果の問題といつても、前記のとおり全く性質の異なる二つの問題がある。しかして、説明的問題が事実認定の問題である以上、刑事法上と民事法上とで解き方を変えねばならぬ理由はないから、判例・通説がかく主張するのは説明的問題の解き方についてでないことは明らかである。したがつて、説明的問題については相当因果関係説は妥当しないものである。

ところで、相当因果関係説は、(イ)その行為がなければその結果が生じなかつたであろうと認められ、かつ、(ロ)そのような行為があれば通常はそのような結果が生ずるであろうと認められる場合に、その行為とその結果との間に法的因果関係があるとする説である。(イ)は条件説の主張そのものであるから、上記見解によれば、(イ)により説明的問題を解き、(ロ)により帰責的問題を解くという説であることがわかる。しかして、相当因果関係説にいう「通常」とは「かなり高い蓋然性(確率)をもつて」ということである。ところが、甲がきわめて遠距離から乙を狙つて拳銃を発射し、その弾丸が乙に命中したとき、甲乙間の距離、その拳銃の射程距離、型、発射時の風向・風力、甲の腕前などの諸要素から判断して、甲の発射した弾丸が乙に命中する蓋然性(確率)が著しく低かつた場合(俗にいうまぐれ当たりという場合)ならば、甲の拳銃発射行為は乙の負傷の法的原因ではないから、甲に対し法的責任を問うことができないことになる。しかし、証拠により、甲の発射した弾丸が飛来して乙の体に命中し体内に入り込んだという因果過程が認定されれば、まぐれ当たりであろうとなかろうと、甲の拳銃発射行為を乙の負傷の法的原因として甲に対し法的責任を問うことができることは明らかである。よつて、ある事実からある結果が発生することが例外的であるという経験則があつても、ただちにその事実がその結果の法的原因ではないと断定することはできないのである。すなわち、相当因果関係説は帰責的問題の解決のための公式としても破綻を来たすのである。

2  普通人の因果関係の考え方の中には、法律家の因果関係の考え方に影響を与えることが非常に多い概念が潜在している。その一つの型は、一般的法則(一定の型の事象間の規則的継起関係=十分条件関係)に当てはまる一事例である一連の物理的変化をひき起こすできごとまたは人間の介入行為(もしくは、その消極的変形として、ある物理的変化の過程をひき起こし損ねた場合)である。この場合因果関係ありというためには、当該できごとまたは行為と結果とが科学上の一般的法則ないし理論または経験則にあてはまる一事例であることを示さなければならないのである。しかして、一般法則には、(1)全く例外のないものもあれば、(2)一定の型の事象に一定の型の事象がひき続いて起こることの蓋然性があることを述べているにすぎず例外を認めている法則もある。(2)のような一般的法則を援用するときは、当該事案がその法則に対する反例もしくは例外に含まれないことを示さなければ因果関係の存在を証明したことにならないのである。

3  本件において璞三の受傷(頸椎むち打ち損傷、頸部挫傷)が本件事故に起因することは証拠上明白である。したがつて、問題になるのは璞三が頸椎むち打ち損傷が原因で死んだか否かの点である。そこで、右負傷から死に至るまでの因果過程が前記のようにして証明(説明)されるか否かが検討されなければならない。

(一) 本件証拠関係を総合すると、一般的法則<1>として「むち打ち外傷を負うと脳脊髄浮腫が発生することがある。」という事実が明らかであり、また具体的事実<1>として「璞三はむち打ち外傷を負い、死体解剖をしたところ、脳実質にかなりの充血、浮腫があり、頸髄にもある程度の充血、浮腫があつた。」という事実が認められる。したがつて、本件事案が一般的法則にあてはまる一事例であることがわかるが、<1>は例外を認めている法則であるから、本件事案が<1>に対する反例もしくは例外に含まれるものでないか否かが検討されなければならない。

しかして、本件において証人あるいは鑑定人となつた医師の中には、右浮腫の発生につき他に原因があると指摘するなどして本件事案が<1>に対する例外に含まれないと断定はできないと考えている者があるが、いずれも鑑定人加藤静雄の述べるところと対比して十分な根拠を有しないことが明らかである。そうすると、璞三の負傷から脳脊髄浮腫発生までの因果過程は、一般法則<1>に対する例外に属しないものというべきである。ゆえに、璞三の脳脊髄浮腫は頸椎むち打ち損傷が原因で発生したものである。

(二) 次に、本件証拠関係によれば、一般的法則<2>として「脳幹に少々の(むくみ)が発生すれば死亡する。」という事実が明らかであり、また具体的事実<2>として、「璞三の脳脊髄に死因として十分と認められる浮腫(むくみ)があつた。」という事実が認められる。

この点についても、璞三の脳脊髄上部には死因になるような損傷はない旨の医師の供述があるが、他の医師、鑑定人の述べるところと対比して十分な根拠を有しないことが明らかである。

(三) さらに、一般的法則<3>として「脳幹と非常に近いところが主病巣のできやすい部位であるから、ちよつと力が強ければ上の方にのぼるフアクターがあり、立派に死因となる。」、<4>として「フロントグラスにぶつかるなど頭部外傷のフアクターが入つてくるとむち打ちを非常に重くする。」、<5>として「むち打ち外傷のときは大体時速五〇キロメートルぐらいが症状の非常に強く起きるか否かの分れ目になる。」等の事実が明らかであるところ、具体的事実<3>、<4>、<5>として、「璞三は時速約四〇キロメートルの速度で追突され、しかも頭部挫傷を負つた。」という事実が認められる。

しかして、時速四〇キロメートルの追突事故はわが国では稀にしか見られないもので、異常に強い外力が璞三の頸部に作用したことが推認されるのである。そして、加藤鑑定人の鑑定結果によれば、璞三の脳幹に死因となるような浮腫があつたことは認めざるを得ないのである。

(四) 以上のとおり、頸椎むち打ち損傷が璞三の脳頸髄浮腫をひき起こしたこと、およびこの脳頸髄浮腫が璞三の直接の死因であることが証明されるのである。

三  控訴人らが受領した自動車損害賠償責任保険金三〇〇万円の中に、休業補償費および医療費が含まれていることは認める。

(被控訴人の主張)

一  控訴人の主張一、二は争う。

本件に関与した医師の中で璞三の脳脊髄における浮腫が本件事故によるものであると結論しているのは加藤鑑定人のみであるが、同人の見解の論拠には多くの疑問があり、かつその見解は稀に見る例に重点が置かれ、最も基本的な璞三の身体における全般的な症状の経過の分析に欠けているものである。特に同鑑定人は、璞三の死因をむち打ち症による晩発性脊髄障害であると述べているが、その論拠となる同人の著書(甲第一四、第一六号証)によれば、晩発性脊髄障害の症状は、脊髄空洞症、脊髄すべり症等であるが、その原因となるのはむち打ち外傷以外の頸のけがであるところの頸椎の骨折、脱臼によるものであるとされていることに留意すべきである。

控訴人が法律上の因果関係について主張する点は、要するに事実認定の証明の程度の問題に尽きるのである。しかして、本件においては、(1)むち打ち症による死亡例、死亡の場合の症状経過、死因となる脳・頸髄の浮腫・出血およびその発生時期等についての統計的因果関係が立証されていないこと、(2)本件の死因と相当に関係があると目される脳・脊髄の浮腫の原因についても他の病気によつたとの疑いが十分あること、(3)本件の死亡経過には通常のむち打ち症による経過では決して考えられない症状群があること等の点を考慮すれば、本件においてはむち打ち症と死亡との間に法的因果関係を認めうる蓋然性は存しないものと思料されるのである。

二  控訴人らは、昭和四三年五月一五日自動車損害賠償責任保険金二八〇万円の支払いを受けた。(証拠関係)〔略〕

理由

一  控訴人ら主張の日時、場所において、その主張のような追突事故が発生したことは、当事者間に争いがない。

二  被控訴人の帰責事由についての当裁判所の判断は、原判決理由第二項(一)(原判決七枚目表七行目から末行まで)に説示するところと同じであるから、これを引用する。

三  本件事故による受傷と璞三の死亡との間の因果関係について

1  璞三の死亡までの経過および死亡当時の状況

〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  璞三は、本件事故当日である昭和四二年九月二一日首のあたりの異常を訴え愛知県済生会病院で診察を受けたところ、意識は正常で神経学的に特別な異状はなく、レントゲン撮影の結果頸椎にも特別な異常は認められず、頸部むち打ち損傷により約三週間の通院加療を要するとの診断を受けた。翌日になつて、璞三は食事の際ののどの痛みを訴えたので、同病院医師福田浩三は大事をとつて入院することをすすめ、璞三もこれに応じて翌九月二三日から入院することとなつた。

同医師は、璞三のむち打ち損傷は軽度のものであると判断して、機械矯正あるいは頸部安定具の使用等は行なわず、ゼノールという湿布による頸部固定の加療を続けていた。一方、璞三の症状は、食欲もあり体温も正常で、九月二六、二七日および一〇月二、三日にかぜ気味の症状を呈し、また一〇月三日入浴中浴場で一時的脳貧血症で倒れ直ちに回復したほかは、特に異常もなく経過した。

ところが、一〇月七日午後七時四〇分、突然、悪感、摂氏三九・四度の発熱があり、関節痛、頭痛、全身発疹の症状を呈し、その際は解熱剤で回復したが、翌一〇月八日から発熱、関節部痛、食欲不振、吐き気、全身倦怠感の症状を呈するようになり、このころ抗生物質が投与された。一〇月九日夕刻には胸内苦悶、呼吸困難を訴え、一〇日には一切しやべらず質問に対し応答もしないなど、意識がなくなり、一一日は、日中は応答正しく異常所見もなくなつたが、同日午後五時三〇分起き上がろうとしてけいれん発作を起こし、全身じんましんとなり、五時四〇分以後呼吸停止がひんぱんになり、その後けいれん発作、呼吸停止をくり返す状態が続いた。そして、一〇月一二日には白血球の数が五〇〇〇となり、一三日午後一〇時三〇分に四肢冷感、チアノーゼを呈したのち、同日午後一一時一四分死亡するに至つた。

(二)  なおその間、一〇月一一日夜間に名古屋大学医学部医師岩田金次郎に依頼して、脳内の血腫の有無、手術の要否についてレントゲン撮影による検査をしたが、脳の左半分には血腫は認められず、右半分は造影剤が入らないため(その原因の一つとして、同医師は脳が腫れているため脳圧が非常に高くなつていることの可能性を考えた。)、確認はできなかつたが、左側血管に何ら影響が見られないので、右側にも血腫はないものと判断し、璞三の重篤な症状を考慮し手術はしないこととした。

(三)  愛知県済生会病院は、璞三の死因を解明するため、死亡の翌日である一〇月一四日に名古屋大学第二病理学教室に依頼して、死体の頸部の下部(脊髄の上部に当たる。)から上の部分の解剖を行なつたが、解剖検査の所見および医師田内久の顕微鏡による組織所見により、脳軟膜の充血と浮腫、脳実質の充血と浮腫、頸髄下部にある程度の充血と浮腫、脳軟膜の軽い炎症性の細胞浸潤のほか各所に小出血が認められたが、頸髄の出血、癒着は認められなかつた。また医師伊藤博治がその後名古屋大学医学部付属病院中央臨検室において保存中の標本を見たところでは、脳の浮腫は脳幹だけでなく脳全体に軽度のものが認められた。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

2  相当因果関係の有無

前段認定の事実によると、璞三が本件追突事放によりいわゆるむち打ち損傷を被つたこと、および、死亡当時の璞三の脳ないし頸髄に充血、浮腫等の症状があつたことが明らかである。そこで、本件追突事故と右の各症状の発生および璞三の死亡との間に相当因果関係が認められるか否かを検討することにする。

(一)  〔証拠略〕を総合すると次の事実が認められ、これを左右するに足る証拠はない。

(1) 自動車の追突事故によるいわゆるむち打ち外傷における受傷の態様は、追突時に瞬間的に(きわめて突然に)頸部の過伸展が起こり、引き続き反射的に過屈曲が起こるものであるが、純粋に前後運動だけのものは稀で、同時に頭部外傷を合併し、あるいは頸椎の側方屈曲が加わる例が多いこと、

(2) 損傷の部位は、一つは頭関節におけるもので項部および上部頸椎に関連する障害を起こし、他は下部頸椎、頸髄におけるもので過伸展性の損傷を起こし、頸椎および頸髄に限つてみると、頸部の軟部組織、支持組織に多彩な損傷が見られ、頸椎の骨折、脱臼、椎間板傷害などの重症例のほか、骨折も脱臼もない軽症例において臨床的には項頸部の自覚症候群の原因となつている場合があり、また頸椎、椎間板などについては、外力が強大な場合は別として、軽度な過伸展の場合は骨折や損傷は起こらないが、過屈曲の場合は損傷が起こりやすく、負担のない自然の姿勢においては後方への過伸展による損傷よりはその反動たる前屈による軟部組織への衝撃の方がより重いこと、

(3) 頸椎損傷によつて、呼吸・循環中枢麻痺、過高熱等の重篤致死的な脳幹症状がひき起こされること、

(4) 極端なスピードによる外傷の際の頭関節部の損傷では骨折、脱臼もあり致死的となるが、たとえこの部位に椎骨損傷が一切認められなくても死亡する例があること、

(5) 頸椎損傷の高さと脊髄損傷の部位との間に直接の関連は要せず、主病巣と関係のない遠隔の副病巣がありうること、たとえば脊髄に強い外力が加わつた場合その部位あるいはその上下に鉛筆状の出血を生ずる例があること、

(6) むち打ち損傷の直後は大したこともなく経過し、相当長期の時日を経たのちに症状が現われる例として、外傷性晩発性脳卒中、晩発性脊髄空洞症・脊髄軟化症・中心性脊髄損傷などがあること、

(7) むち打ち損傷で死亡した例はきわめて稀であるが、脳幹における軽いむくみ(浮腫、水腫)が原因で、しかもそれが十分な条件となつて死亡する例が見られること。

(二)  そして、当審鑑定人加藤静雄の鑑定結果(以下加藤鑑定という。)は、以上の事実に加えて、本件につき、(1)水腫のあつた部位が脳脊髄、特に脳幹の部分に当たると推測されるところ、この部分はむち打ち損傷による浮腫の好発部位であること、(2)璞三の死亡に至る過程において現われた症状が、呼吸麻痺、過高熱の状態を経て意識をなくし昏睡状態になるという、脳の中枢神経の障害を原因とする死亡例の典型的な症状ないし過程を経ていること、(3)頭蓋内出血、脳内出血などが見られないところから晩発性の脳卒中の可能性はないにしても、晩発性の脊髄障害の可能性は考えられること、(4)他に死因となる疾患は考えられないこと等を根拠として、本件むち打ち損傷と脳ないし脊髄における浮腫の発生(特に脳幹におけるそれ)および璞三の死亡との間に高度の因果関係が認められるとの結論を示している。

(三)  これに対して、当審鑑定人伊藤博治の鑑定結果(当審における同人の鑑定証人としての供述により補足されたところを含む。以下伊藤鑑定という。)は、(1)むち打ち損傷によつて脳ないし脊髄において浮腫が発生することは否定し得ないが、そのためには、ある程度以上の外傷が加えられたこと、および、それに伴つて頭痛、吐き気、しびれ等の症状が伴うことを要するところ、本件の場合相当強い外力が加わつたことは考えられず、右のような症状も見られないこと、(2)特に晩発性脊髄障害の場合は、外傷がかなり強いこと、肩や首が動かなくなつたり、手がしびれたりする等の症状が突発的に起こること、その発作が起こるまでに何らかの訴えがあること等が必要であるのに、本件の場合このような事実はいずれも見られないこと、(3)一〇月七日の発熱の以前においても九月二六日ごろおよび一〇月二日ごろに発熱およびかぜ気味の症状があつたほか、一〇月七日の発熱、関節痛、頭痛、全身発疹等は感染性疾患の初発症状であり、一〇月八日の関節部痛、食欲不振、吐き気、全身倦怠感、発熱等は感染性疾患の主症状であり、また胸内苦悶、呼吸困難等は呼吸器系統の感染の疑いを抱かせる症状であるとみうること、(4)いわゆる脳死の原因としては、脳幹部の損傷のほかに脳の酸素不足により脳細胞が呼吸できなくなつた状態が考えられるところ、本件における脳軟膜の充血・水腫、脳実質の水腫は呼吸困難、呼吸停止、腸圧呼吸が長く続いたことにより脳に酸素欠乏が起こつたために第二次的に生じたものと推定されること、(5)意識障害、顔面・手足のけいれん・ふるえは第二次的に起きた肺性脳症と考えられること、(6)脳の浮腫が脳実質において特に著明なものではなく脳全般に及んでいることは右の点を裏づけるものであること、(7)脳軟膜に炎症性の細胞浸潤が認められたことは感染性疾患を推測させ、また一〇月一二日における白血球の増加は感染性疾患のうちでも特にウイルス性感染の場合に特徴的な現象であること等を根拠に、璞三の死亡の原因は感染性胸部疾患によるものと推定されるとし、むち打ち損傷によるものであることの可能性を否定している。

(四)  また、当審鑑定人森和夫の鑑定結果(以下森鑑定という。)は、浮腫が細胞機能を障害し症状を増悪させ、いわゆる脳死に近い状態の招来に大きく関与したことは明らかであるが、浮腫により(あるいは浮腫が一義的な原因となつて)死亡したと断定することはできないとしている。そして、伊藤鑑定について呼吸器系統における感染をもつて死因とみる結論は根拠が不十分であると指摘し、また、加藤鑑定については、(1)脳および頸髄に挫傷や受傷時に生じたと思われる出血等が認められないから、浮腫の発生につき外力の影響は軽微であつたとみうること、(2)仮に受傷により浮腫が発生したとしても外力はきわめて軽微なものであつたと思われること、(3)浮腫は通常二四ないし四八時間で最高となりその後は徐々に消退するものであるから、受傷急性期に何らの症状も認められないような軽い浮腫が長期にわたり持続し、あるいは次第に助長されて一〇月七日の時点で突然にしかも重篤症状をもつて顕在化することは考えられないこと、(4)璞三の死亡に至る過程における諸症状を脳幹部の限局障害として説明することがきわめて困難であること等を理由に、右加藤鑑定を採用し難いものとしている。そして、璞三の死亡の原因については、脳外の原因により脳の乏血を生じて浮腫を発生し、脳機能障害(細胞障害)を生じ、これにより意識障害や中枢性呼吸障害を招来して脳死に近い状態となり死亡したのではないかと推測し、本件事故と璞三の死亡との間の因果関係を否定している。

(五)  右にみたように、当審における各鑑定の結果は、璞三の死因に関する結論を異にしており、そのいずれを支持すべきかはにわかに決し難いところである。しかしながら、

(1) 加藤鑑定においては、追突事故における衝突車の速度につき、むち打ち損傷による症状の軽重が分かれるところは時速約五〇キロメートルであるとの見解が示されているところ、本件事故における追突時の衝突車の速度は、〔証拠略〕により時速約四〇キロメートルであつたことが認められるのみで、脳ないし脊髄に浮腫を発生させるほど強力なものであつたかどうかについては証拠上必ずしも明らかでなく、同鑑定においても触れられていないところである。かえつて森鑑定によれば、浮腫の発生につき外力の影響は軽微であつた旨指摘されているのである。

なお、〔証拠略〕には、臨床診断として頭部挫傷の旨の記載があるが、その程度がいかほどであつたかを推認させる資料もなく、右の記載をもつて本件事故における外力がきわめて強力であつたことの証左とすることができない。

(2) 加藤鑑定においては、璞三の死亡の態様がいわゆる脳死の定型に合致することの根拠として過高熱の点があげられており、〔証拠略〕中の患者容態表によれば、一〇月一二日に四一・三度の発熱があつたことが認められる。しかしながら、甲第一三号証(加藤鑑定人が乙第二号証に基づき同人の鑑定の結果を補足したもの)においては、一〇月九日からの病状の急変のみを取り上げているにすぎず、前記認定の一〇月七日からの突然の発熱の事実を無視しているものであつて、仮に右甲第一三号証中の一〇月九日の記載が一〇月七日の誤記であるとしても、さらにこれに先立つ前記認定の九月二六、二七日あるいは一〇月二、三日ごろにおけるかぜ気味ないし発熱の症状の推移が全く考慮されていないことは、これをもつて事実の裏づけが不十分であるとの非難を受けてもやむを得ないところというべきである。

(3) むち打ち損傷において咳が起こることは伊藤鑑定においても否定していないところである。しかしながら、胸内苦悶の点については、同鑑定によるとむち打ち損傷の場合にはあり得ないものであることが認められ、また〔証拠略〕によつても、むち打ち損傷の場合に起こるのは胸内苦悶とは異なる狭心症的胸内苦痛であることが認められるのである。しかして、璞三が右症状を訴えたことを認めるに足る証拠はない。

(4) 加藤鑑定においては、本件事故によるむち打ち損傷によつて直接に脳ないし脊髄の浮腫が発生したものではなく、第一次的には右の浮腫のできやすい状態(素地)が形成され、第二次的に何らかの原因で浮腫ができたものと考えられるとしているが、右の原因については適確に指摘するところがない。

(5) 加藤鑑定において指摘されている晩発性の脊髄障害の可能性についてみるに、〔証拠略〕によれば、右の障害はきわめて強い外力が加えられた場合に生ずる比較的重症の過伸展による外傷のときに最もよく現われ、当初は自覚症状がほとんどないのに、その後脊髄のおかされた症状として、手足の運動麻痺、排尿・排便の障害、諸種の感覚異状等が新しく現われてくるものであるというのである。しかしながら、既にみたように、本件事故の際に加えられた外力が右のような重症の外傷を生ずるほど強力なものであつたとはただちに認め難いものであり、しかも、本件における璞三の症状の特徴が右にみたような症状に必ずしも合致するものでないことは、前記認定より明らかである。しかして、伊藤鑑定においても晩発性の脊髄障害という症状のありうることは否定していないが、前記のごとく本件においてはそれに伴う症状の現われていないことを指摘しているのである。

結局、璞三の死亡の原因を晩発性の脊髄障害に求めるには加藤鑑定は未だ根拠が十分でないものといわなければならない。

(6) 加藤鑑定においても、ほかの脳器の病気がなかつたとはいいきれないとしている。

なお、加藤鑑定は感染性胸部疾患の可能性を否定し、璞三の生前において一次的な感染性の肺炎の存在が疑われたような事実もなければ、医師がその治療に専念した事実もないことを指摘している〔証拠略〕。これに対して伊藤鑑定においては、一〇月七日から一一日にかけて抗生物質が大量に投与されている事実をもつて、感染性の疾患を治癒するためになされたものと指摘している。しかして、ある症状について医師がどの点に注目して治療を施したかということと、事後においてその症状を全体的に考察して、何をもつて右症状に対応する疾患と認めるのが最も適切かを究明することとはおのずから別個の問題に属し、その間に差異を生ずることがありうることは否定し得ない以上、加藤鑑定における右の指摘のみをもつて感染性胸部疾患の可能性を否定することは相当でない。もつとも、〔証拠略〕によれば、璞三が生前健康体であつたことが認められ、また〔証拠略〕によれば、肺炎によつて死亡することは最近においてはめつたにないことが認められ、璞三が死亡当時二八歳の若さであつたことを考え合わせるとき、同人の死因が感染性胸部疾患にあるとするのは、いかにも唐突ではないかとの感を禁じ得ないところである。したがつて、伊藤鑑定のうち、浮腫の原因が感染性胸部疾患にあつたとする結論の部分については、にわかに支持し難いものがあることは否定し得ないところである。

(六)  以上のように、加藤鑑定にはなお検討を要する点がいくつか見受けられ、同鑑定人がわが国において頭部外傷に関するすぐれた研究者の一人であり、専門書あるいは啓蒙書の著述によりその見解が多くの支持を受けていることは無視し得ないにしても、なお本件のようなむち打ち損傷による死亡という稀有な事例を説明するには十分でないといわざるを得ない。

こんにちにおける医学の進歩にもかかわらず医学的に解明し尽くされない現象があり得る以上、相当因果関係があるというためにすべての場合に医学的に原因が明らかにされなければならないというものではないが、原因と結果との間には、単なる可能性に止まらず高度の蓋然性が必要であるというべきところ、本件璞三の死亡については、むち打ち損傷により発生した脳ないし脊髄における浮腫が原因であるとみうる余地がないではないが、伊藤鑑定あるいは森鑑定の指摘する他の原因があつたという可能性も未だ捨てきれないものであるから(璞三の死体の全部について解剖が行なわれなかつたことは全く遺憾というのほかない。)、結局、本件事故と脳ないし脊髄における浮腫の発生および璞三の死亡との間に相当因果関係を肯認すべき高度の蓋然性があることについては証明がなかつたことに帰する(以上の結論は、当審鑑定人上田文男の鑑定の結果によつても支持しうるものである。))

四  控訴人らの損害および相続関係についての当裁判所の判断は、原判決理由第四、五項(原判決一〇枚目表二行目から一一枚目裏二行目まで)に説示するところと同じであるから、これを引用する。

五  そうすると、控訴人らは各自金六万八五六四円の損害賠償債権を有するというべきであるが、控訴人らが休業補償費および医療補償費を含めて自動車損害賠償責任保険金三〇〇万円を既に受領していることは控訴人らの自認するところであるから、控訴人らは被控訴人に対してもはや何らの債権も有しないことになる。したがつて、控訴人らの本訴請求は理由がないから失当としてこれを棄却すべきである。

よつて、控訴人らの請求を一部認容した原判決は失当であり、本件付帯控訴は理由があるから、原判決中被控訴人敗訴部分を取り消し、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、九六条、八九条、九一条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山田正武 宮本聖司 新村正人)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例